今日、「太陽と海の教室」というドラマで、織田裕二さん扮する先生が、「受験勉強は全く大人になると役に立たない。それでもなぜ勉強するのか。」という話をする場面があった。
ハチドリのひとしずく」という話を例に出し、火事が起きた時にハチドリは一滴の水を火にかけ続けた。なぜそんな無駄なことをするのか、と尋ねられるとハチドリは「私にはこうしかできないのです」と答えた。
だから、たとえ99パーセントの努力が無駄になっても、だからといって何もしなくていいのか?いや、違う。人は自分にできることを精一杯やらなければいけないのだ。全く無駄に等しい努力でもその先に1パーセントの宝物が見つかれば、それはその人の100%になる。それを見つけ出すために勉強しなければいけないのだ。
美しい言葉である。まったく間違ってないと思う。
ただ、僕は真っ只中の受験生には、あまりに抽象的過ぎて、あんまり説得力を感じないかもしれないと思ってしまった。意味がない努力だったら別にしたくないなあ、なんて生徒が思うに決まってるからだ。
当たり前のことだけど一応断っておくが、ドラマでは場面として、そういうセリフを言う必然性があって言っているわけであって、現実とは関係ない。たとえばETを見て、「月はこんなに大きくないからこの場面はおかしい」とか、「ハケンの品格」を見て、「一人の人がこんなに資格を持ってるはずないからおかしい」とかイチャモンをつけるのがずれているのと同じく、細かいところのリアリティを超えて大きなメッセージを伝えるのが作品なのだから、僕の話は別にドラマに関するいちゃもんではない。
僕が言いたいのは、現代っ子は現実的に考えると、「就職に有利だ」とか以外に「勉強すること自体」に関して、もっとはっきりとした意味を求めているのではないだろうか、ということだ。
僕だって、学生時代は将来はミュージシャンになると決めているのに勉強なんかしてなんの意味があるんだろう?なんてよく思った。
僕は「勉強をする意味」は今は割とシンプルに考えている。
我々は「体力」をつけるために運動をする。いろいろなスポーツがある。脚力を鍛えるのに適したスポーツもあるし、腕力がつくスポーツも、持久力がつくスポーツもある。だからいろいろなスポーツをバランスよくやるのが理想的だ、なんて言われる。
そして、「根本的なところで体力がつく」という基本的な意味と、たとえば友達ができるとか、ストレスが解消される、といったような「実際的な」意味がスポーツには両方ある。
僕は勉強も全く同じだと思っている。
我々は「脳力」をつけるためにきっと勉強をしている。「脳力」にはいろいろな要素があって、論理的思考力、数理的発想力、まあ、いろいろな能力がある。
国語、数学、英語、社会、理科・・・。それら全部たとえば水泳とマラソンの違いみたいに、それぞれ学ぶことで「頭の中の足」とか「頭の腕」とか「頭の持久力」とか、それぞれ違うところが鍛えられていく。だからいろいろな科目をバランスよく学ぶことが必要だとされる。
さらにこれもスポーツと同じで、勉強には「脳力がつく」という基本的な意味以外にも、「外国に行った時に英語で話せる」なんて「実際的な」意味だってある。
我々はその「実際的な」面ばかりに気を奪われて、簡単に、たとえば「数学なんかやっても社会に出てから使わないし、受験勉強なんかしても役に立たない」なんて言ってしまってるのではないだろうか。
確かに「体力がついた」というのは割とわかりやすいし、すぐに実感できるものだけれども、「脳力がついた」というのはなかなかわかりにくいけどね。
もちろん受験勉強をしなくとも、「脳力」を鍛えることは可能だ。普段から物事を深く考えるとか、知的好奇心が強いとかね。勉強をしていなくても「脳力」が高い人というのはだいたいこういうタイプの人だ。
体力だって別にスポーツをしなくても、野山を駆け巡りまくったりしてたらつくでしょw。
要するに「勉強」というのは効果的に「脳力」をつけるために用意された合理的プログラムなのだ。野山を駆け巡らなくても、ジムで機械でトレーニングプログラムが組まれているような感じだよね。
だからわれわれは体を鍛えることと同じく、「学校」というジムに通って、「勉強」というトレーニングプログラムを消化して頭を鍛えなければいけないのだ。
僕は講師時代、いつも生徒たちにそう言っていた。
それくらい、メリットデメリットをきっちり話さないと、ドライな現代っ子の心なんて動かないからね。
誰も「スポーツなんかやっても社会では役に立たない。」なんて発言をしないのに、「受験勉強なんかしても意味がない。」なんてフレーズが本当に昔からまかりとおってるのが、僕は本当に不思議でならない。
ちなみに念のため、「脳力」というのは、人生を生き抜くために必要な力のうちの一つに過ぎない。当然のことながらそれ以外に必要な力はたくさんある。「勉強はできても会社に入ると使えない」なんて現象は、その人に合ってない仕事をしてるか、「脳力」以外の力のうちの何かがダメなのだw。
ちなみに僕なんかも協調性はないし、二つ以上のものを並行処理するのが苦手だし、苦手なことがたくさんあってほとほと困っている・・・w。
勉強する意味。
幻の音源。あるいは当時僕の周りにいた天才#1
一度昔の僕を知っていただきたくて、僕が21歳の頃の音源を聞いていただきたいと思う。
「Seasons Of Change」
作詞、作曲:長瀬弘樹 編曲:神前暁(and Rolly Ace)
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/seasons.asx (windows media player用)
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/seasons.ram (realplayer用)
「What a Way To Go」
作詞・作曲:長瀬弘樹 編曲:神前暁(and Rolly Ace)
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/what.asx
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/what.ram
「神前暁」という作曲家を知っているだろうか。いまや「らき★すた」の「もってけ!せーらーふく」の作曲家としてアニメ界では知らない人はいないくらいの作曲家である。
彼と僕は実は同じ大学出身で、京大のサークル「吉田音楽制作所」の先輩後輩の関係である。彼の名前はネットで検索すればいくらでも出てくるので詳しいことは省くが、当時から非常に素晴らしい才能の持ち主で、「神前は絶対にプロになる」と当時からサークルのなかでも有名だった。
僕も当時はミュージシャンとしてそれなりの自負はあったが、彼の職人肌にはとてもかなわなかった。彼は僕の若い鼻っ柱を軽やかに折ってくれた人のひとりである。
(そういう人は音楽に限らず、頭脳や言論など、数々の才能を持った人が当時の僕の周りにはたくさんいた。みな今第一線で今、世の中をひっぱっていっている。彼らについて今後ブログでもシリーズものとしてwいろいろ書かせていただきたいと思う。)
当時、「Rolly Ace」という文化祭のために組まれた企画モノのバンドをサークル内で組んだ。ホーンセクション(トランペットやトロンボーン、サキソフォーンなどの金管楽器)が3人に、ギター、ベース、ドラム、そしてキーボードが2人に、ボーカルが4人、留学生のパーカッショニストが一人の総勢13人くらいの大所帯バンドだった。
70年代ソウルのパロディをやろうぜ、という完全なお遊びの企画モノだったけど、やりだすとそれなりに真剣にやった。
そして、そのバンドのボーカリストの一人として僕、トランペット奏者として神前暁氏がいたのである。
このブログを見ていただいている人は「僕の声」をよく知らないと思うのだけれども、僕の声は「seasons of change」の一番で二人目に歌っていて、サビの部分でもいろいろ歌っている、ちょっと声が細めの人ですw。聴いてみると当時からほとんど声が変わっていないけど、やっぱり若い声だね。その当時から僕は一番手のスターより「二番手」が好きで、そういうところも今と全然変わっていない。
文化祭でやった曲のなかで人気が高かった曲をちゃんとレコーディングしようということで録音したのがこの音源である。
これは1997年当時の宅録技術の粋を尽くして録音されたものである。この音源は完全に当時のままのデモ音源だ。
Rolland VS880を学校に持ち運んで、大学の教室でホーンセクションやドラムを生で録音し、それを僕の家に持ってきて、僕のAKAI DR-8とOpcode visionで同期させてデジタルミキサーYAMAHA O3Dでミックスするというかなりめんどくさいことを当時はしなければいけなかった。
ミックスは神前さんが生楽器の音作り、僕がシンセとボーカルと全体の音量バランスを受け持ったという記憶がある。
クレジット上は、僕が作詞・作曲になるのだけれど、僕は実際の曲を作る作業はほとんどしていない。
オケが出来上がっているところに最後に僕が現れて、メロディと歌詞をのせただけだ。これで作詞、作曲のクレジットになるのが良くも悪くも日本のシステムなのですよね。
楽器の部分はほとんど神前さんがやって、僕がやったのはコーラスアレンジの部分だけだった。
いつも自分ひとりで曲を作り続けてきた僕にとって、創作段階からの誰かとの共同作業、というのを経験したのはこれが初めてだったし、そしてこれが最後の経験になった。これから今に至るまで、僕は自分一人で何もかも作り続けることになる。
でも時々このときのことを思い出して、人と一緒に曲を作るって結構楽しかったな、なんて思うのである。
この頃のボーカリストのうち、僕は作家になり、もう一人はディレクターになり、さらにもう一人はボイストレーナーになり、もう一人は任天堂に就職した。
そのバンドのメンバーのうちにYamahaに就職した人もいたし、ゲームサウンドクリエイターになった人もいたし、「神前暁」になった人もいたw。
いろんな人がいたバンドであった。
詳細なクレジットを書きたいので、これにかかわった方は、このブログを見ていたらぜひご連絡いただきたいです。
「Seasons Of Change」
作詞、作曲:長瀬弘樹 編曲:神前暁(and Rolly Ace)
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/seasons.asx (windows media player用)
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/seasons.ram (realplayer用)
「What a Way To Go」
作詞・作曲:長瀬弘樹 編曲:神前暁(and Rolly Ace)
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/what.asx
http://www.cansoon.com/~moomin/audio/stream/what.ram
「神前暁」という作曲家を知っているだろうか。いまや「らき★すた」の「もってけ!せーらーふく」の作曲家としてアニメ界では知らない人はいないくらいの作曲家である。
彼と僕は実は同じ大学出身で、京大のサークル「吉田音楽制作所」の先輩後輩の関係である。彼の名前はネットで検索すればいくらでも出てくるので詳しいことは省くが、当時から非常に素晴らしい才能の持ち主で、「神前は絶対にプロになる」と当時からサークルのなかでも有名だった。
僕も当時はミュージシャンとしてそれなりの自負はあったが、彼の職人肌にはとてもかなわなかった。彼は僕の若い鼻っ柱を軽やかに折ってくれた人のひとりである。
(そういう人は音楽に限らず、頭脳や言論など、数々の才能を持った人が当時の僕の周りにはたくさんいた。みな今第一線で今、世の中をひっぱっていっている。彼らについて今後ブログでもシリーズものとしてwいろいろ書かせていただきたいと思う。)
当時、「Rolly Ace」という文化祭のために組まれた企画モノのバンドをサークル内で組んだ。ホーンセクション(トランペットやトロンボーン、サキソフォーンなどの金管楽器)が3人に、ギター、ベース、ドラム、そしてキーボードが2人に、ボーカルが4人、留学生のパーカッショニストが一人の総勢13人くらいの大所帯バンドだった。
70年代ソウルのパロディをやろうぜ、という完全なお遊びの企画モノだったけど、やりだすとそれなりに真剣にやった。
そして、そのバンドのボーカリストの一人として僕、トランペット奏者として神前暁氏がいたのである。
このブログを見ていただいている人は「僕の声」をよく知らないと思うのだけれども、僕の声は「seasons of change」の一番で二人目に歌っていて、サビの部分でもいろいろ歌っている、ちょっと声が細めの人ですw。聴いてみると当時からほとんど声が変わっていないけど、やっぱり若い声だね。その当時から僕は一番手のスターより「二番手」が好きで、そういうところも今と全然変わっていない。
文化祭でやった曲のなかで人気が高かった曲をちゃんとレコーディングしようということで録音したのがこの音源である。
これは1997年当時の宅録技術の粋を尽くして録音されたものである。この音源は完全に当時のままのデモ音源だ。
Rolland VS880を学校に持ち運んで、大学の教室でホーンセクションやドラムを生で録音し、それを僕の家に持ってきて、僕のAKAI DR-8とOpcode visionで同期させてデジタルミキサーYAMAHA O3Dでミックスするというかなりめんどくさいことを当時はしなければいけなかった。
ミックスは神前さんが生楽器の音作り、僕がシンセとボーカルと全体の音量バランスを受け持ったという記憶がある。
クレジット上は、僕が作詞・作曲になるのだけれど、僕は実際の曲を作る作業はほとんどしていない。
オケが出来上がっているところに最後に僕が現れて、メロディと歌詞をのせただけだ。これで作詞、作曲のクレジットになるのが良くも悪くも日本のシステムなのですよね。
楽器の部分はほとんど神前さんがやって、僕がやったのはコーラスアレンジの部分だけだった。
いつも自分ひとりで曲を作り続けてきた僕にとって、創作段階からの誰かとの共同作業、というのを経験したのはこれが初めてだったし、そしてこれが最後の経験になった。これから今に至るまで、僕は自分一人で何もかも作り続けることになる。
でも時々このときのことを思い出して、人と一緒に曲を作るって結構楽しかったな、なんて思うのである。
この頃のボーカリストのうち、僕は作家になり、もう一人はディレクターになり、さらにもう一人はボイストレーナーになり、もう一人は任天堂に就職した。
そのバンドのメンバーのうちにYamahaに就職した人もいたし、ゲームサウンドクリエイターになった人もいたし、「神前暁」になった人もいたw。
いろんな人がいたバンドであった。
詳細なクレジットを書きたいので、これにかかわった方は、このブログを見ていたらぜひご連絡いただきたいです。
心を伝えるということ。
僕がアーティスト時代に担当ディレクターからある言葉をいわれた。
「お前、一回でもいいから人をお前の曲で号泣させてみろ、それができなきゃ音楽家と名乗ってること自体そもそも恥ずかしいことなんだぞ。」と。
なんだかその言葉が当時の僕にはカルチャーショックだったというか、ああ、そうなんだよな、と素直に思えた。人を泣かせるくらい感動させるのがそもそも芸術家のひとつのあり方なんだよな、と。
恥ずかしながら僕はそれまで「人を泣かせたい」なんてことは何にも考えていなかった。j-popの一面的な価値観に完全にインボルブされていたというか、とりあえずインパクトで売れれば勝ちだ、みたいな。
もちろん当然ながらそういうインパクト論の考え方は正しいし、全く間違ってない。だって正しいよね、それ?でも僕はそのとき、自分は違う道を進みたいと心から思ったのだ。
それから僕の曲は劇的に変わった。本当に劇的といえるほどの変わり方だった。アーティスト時代、僕はよく、「スタイルがない」と言われていた。いろんなタイプの曲を書くけれど、どれが長瀬君なのかさっぱりわからないと。
でもそれからの僕は、「本当にこのメロディがこの歌詞には正しいのだろうか?」とか、「このアーティストがこの曲を歌うことで何を人々に伝えられるのだろうか?」とかそういうことを真剣に考えるようになった。
結果、メロディの華やかさは表面的に後退した。「作りこみました」といったタイプのメロディはあまり書かなくなった。それまでの僕は「転調マニア」で、いかに人をびっくりさせるような展開を作るかというところ(だけ)にココロを砕いていたのだけれど、そういうトリッキーな傾向はすっかり鳴りをひそめた。
たくさんの人からメロディが地味だと言われるようにもなった。エイベックスの売れ線アーティストにはさっぱり決まらなくなった。でも僕はもうそういう「インパクト競争」の世界にまた戻りたいとは全く思わなくなっていた。僕は僕だけにしかできないようなことをやりたい。
「僕だけにしかできないもの」というのはなんだろう?と常に考え出すようになった。「長瀬弘樹」という人間にしかできないものを僕は作って生きていきたい。でないと音楽家としての僕が生きる意味なんてどこにもないから。
KinKi Kidsの「ノー・チューンド」を書いたとき、初めて「これが僕のひとつの答えなのかもしれない」と思えた。
あれを僕がソロアーティストとしてやっていたら別にとりたてて評価もされなかっただろう。なぜなら、あれだけ個人的な歌詞を歌っている僕というアーティスト自身に魅力がないのだから。個人的な歌詞を歌えば歌うほど、そのアーティストの魅力が問題になるからだ。
でもKinKi Kidsが歌うことで、「ぴったり決まった」と僕は感じることができた。これこそ、僕がずっとやりたかったことなんだ、と。
「ノー・チューンド」のことを書いたオフィシャルブログに300を超える「ブログ拍手」を頂いた。感想でも「あの曲を聴いて涙が止まりませんでした」とか「生きる勇気をもらいました」というコメントをたくさんもらった。メールボックスがいっぱいになるほどの励ましのメッセージをいただいた。
やっと僕は「人を自分の曲で泣かせる」ということができたのだ。
それが一部の人だっていい。人を「泣かせ、感動させる」ことができたことで、僕はひとつ、音楽家としてあの時、ディレクターさんに言われたような「泣かせる」作品をひとつ作れたんだ、と思うことができたのだから。
アルバム曲だから、世の中への影響力は低いかもしれない。でもそんなことはかまわない。正直言って、僕は「ノー・チューンド」を書くまで、自分が何者なのかさっぱりわからなかったのだから。
皮肉なことに、アーティスト時代、ずっと「スタイルがない」と言われ続けてきた僕は、作家になってから逆に「スタイルがはっきりした作家だ」といわれるようになった。人生って本当によくわからない。
「お前、一回でもいいから人をお前の曲で号泣させてみろ、それができなきゃ音楽家と名乗ってること自体そもそも恥ずかしいことなんだぞ。」と。
なんだかその言葉が当時の僕にはカルチャーショックだったというか、ああ、そうなんだよな、と素直に思えた。人を泣かせるくらい感動させるのがそもそも芸術家のひとつのあり方なんだよな、と。
恥ずかしながら僕はそれまで「人を泣かせたい」なんてことは何にも考えていなかった。j-popの一面的な価値観に完全にインボルブされていたというか、とりあえずインパクトで売れれば勝ちだ、みたいな。
もちろん当然ながらそういうインパクト論の考え方は正しいし、全く間違ってない。だって正しいよね、それ?でも僕はそのとき、自分は違う道を進みたいと心から思ったのだ。
それから僕の曲は劇的に変わった。本当に劇的といえるほどの変わり方だった。アーティスト時代、僕はよく、「スタイルがない」と言われていた。いろんなタイプの曲を書くけれど、どれが長瀬君なのかさっぱりわからないと。
でもそれからの僕は、「本当にこのメロディがこの歌詞には正しいのだろうか?」とか、「このアーティストがこの曲を歌うことで何を人々に伝えられるのだろうか?」とかそういうことを真剣に考えるようになった。
結果、メロディの華やかさは表面的に後退した。「作りこみました」といったタイプのメロディはあまり書かなくなった。それまでの僕は「転調マニア」で、いかに人をびっくりさせるような展開を作るかというところ(だけ)にココロを砕いていたのだけれど、そういうトリッキーな傾向はすっかり鳴りをひそめた。
たくさんの人からメロディが地味だと言われるようにもなった。エイベックスの売れ線アーティストにはさっぱり決まらなくなった。でも僕はもうそういう「インパクト競争」の世界にまた戻りたいとは全く思わなくなっていた。僕は僕だけにしかできないようなことをやりたい。
「僕だけにしかできないもの」というのはなんだろう?と常に考え出すようになった。「長瀬弘樹」という人間にしかできないものを僕は作って生きていきたい。でないと音楽家としての僕が生きる意味なんてどこにもないから。
KinKi Kidsの「ノー・チューンド」を書いたとき、初めて「これが僕のひとつの答えなのかもしれない」と思えた。
あれを僕がソロアーティストとしてやっていたら別にとりたてて評価もされなかっただろう。なぜなら、あれだけ個人的な歌詞を歌っている僕というアーティスト自身に魅力がないのだから。個人的な歌詞を歌えば歌うほど、そのアーティストの魅力が問題になるからだ。
でもKinKi Kidsが歌うことで、「ぴったり決まった」と僕は感じることができた。これこそ、僕がずっとやりたかったことなんだ、と。
「ノー・チューンド」のことを書いたオフィシャルブログに300を超える「ブログ拍手」を頂いた。感想でも「あの曲を聴いて涙が止まりませんでした」とか「生きる勇気をもらいました」というコメントをたくさんもらった。メールボックスがいっぱいになるほどの励ましのメッセージをいただいた。
やっと僕は「人を自分の曲で泣かせる」ということができたのだ。
それが一部の人だっていい。人を「泣かせ、感動させる」ことができたことで、僕はひとつ、音楽家としてあの時、ディレクターさんに言われたような「泣かせる」作品をひとつ作れたんだ、と思うことができたのだから。
アルバム曲だから、世の中への影響力は低いかもしれない。でもそんなことはかまわない。正直言って、僕は「ノー・チューンド」を書くまで、自分が何者なのかさっぱりわからなかったのだから。
皮肉なことに、アーティスト時代、ずっと「スタイルがない」と言われ続けてきた僕は、作家になってから逆に「スタイルがはっきりした作家だ」といわれるようになった。人生って本当によくわからない。
大人って説教ばかりする。

「大人は説教くさくて自分の話しかしない。大人なのに人の話をきかないなんて大人としてなってない」
若い頃は割りとこういうことを言いがちだ。
でもね、僕はこの年になると、なんでこういうことが起こるのかわかってしまう自分がいるのだ。
最近の僕も若い子といるとつい説教くさいことを言ってしまう自分がいたりする。でもね、それは結論から先に言うと「間をもたせるため」に仕方なく言ってしまっていることなのだ。
若い子と年上が話していたりすると、どうしても若い方が恐縮して聞く側に回ってしまう。年上のほうがいかに若い子に話題を振っても、若い子は積極的に自分を出せない。話を振っても振っても相手が話さず沈黙が続くから、つい間をもたせるために自分の昔の経験なんかを話してしまう。「そういえば僕が君くらいの時にはね・・・。」
自分が話している結論にオチをつけるために教訓めいたものを付け加えざるを得ない。「だから君もね、こういうときにはこういう風にしたほうがいいと思うよ。」
若い方は、「ためになる話をありがとうございます!」なんて言って、その実、冷静に「この人ずっと説教ばっかしてるな」とか「自分の話ばっかじゃん」なんて思っている。そして大人をひそかに軽蔑している。
僕もそうだった。でも、それは大人というものの特性から来ることではなくて、二人の関係性から来ることなのだ。
僕もなるべくこういう状況は避けたい。こういう状況に陥ったときにはなるべく説教をしないように気をつけているし、できるなら早めに話を切り上げて別れる。
でも、それが許されない状況というものはあるし、その状況で話題を振っても振っても話さない子がいる。
僕は基本的に自分の話をするのが好きな人間だし、人の話も興味のない話は別に聞きたくないほうだ。
でも、僕も水商売を経験したりしたし、(講師が自分がひたすら話す仕事であるのと対照的に、水商売は実はいかに相手にしゃべらせるかという仕事である)年齢的に大人にもなったりして、さすがにそういうことはある程度は回避できるようにはなってきた。
でも、相手が話さないときにはもうお手上げである。
もうそういう時には仕方なく自分の仕事の話なんかをえんえんとしてしまうのだ。音楽業界の仕事の話だと結構一般の人にも接点があるからね。
たとえば「社長」などという立場の人たちは常にそういう状況におかれている。みんな彼らの前にいると恐縮して何も話さない。だからひたすら社長はしゃべるしかない。話すネタも自分の人生哲学とか、経験とかそういうことを話すしかない。共通の話題がないのだから。結構彼らも苦労しているのだ。
今度から社長という人たちと話すときには目いっぱい自分の話をしてやるw。(いや、これは冗談。)
やはりそういうときには自分もただ相槌を打つリアクションを鍛えるだけじゃなくて、一応ひとそろいの意味内容のあることをきちんと伝えて向こうがしゃべるだけにならないようにする努力はしないといけないな。
カーシェアリング、その後
僕の近くのステーションに車が一台しかなく、予約がとれないという件について、オリックスに問い合わせのメールを送ったのが昨日。
今日、さっそく大変丁寧な返信のメールをいただき、一時的に別のステーションから車を一台移動して配備していただいたということだった。非常に早い対応でしっかりと利用者のことを考えてマーケティングをしていただいているという印象を受けた。
FMラジオがモノラルでしか聞けない、という件についても今日問い合わせのメールを送った。なんだかクレーマーみたいで心苦しいのだけれどw、こういう意見はやはり利用者にも会社にも両方利益があることなんじゃないかと思う。やはりipodの音楽をモノラルでしか聞けないというのは、特に僕らなんかにしてはかなり深刻な問題である。
聞くところによると、特に若年層では車のなかで音楽を聴く場合、ipodでFMトランスミッターで音を飛ばし、FMラジオ経由で聴く、というスタイルが現在ではかなりの割合を占めるようだ。車内のリスニング環境は、音楽業界がダイナミックに変わっているのと同じく、相当変わってきている。
確かにCDだと、何枚もCDを持って行って、アーティストが変わるたびにCDを入れ変えなくてはいけないのがかなりめんどくさい。たとえばシングルなんて2,3曲しかはいってないんだから、そんなのを持っていくとかなり置き場所的にかさばるし、2,3曲聞いたらもうCDを入れかえなきゃいけない。
ipod一台にたくさんの音楽をいれて、それだけを持っていきたい、というスタイルになるのはごく自然なことだと思う。
そう考えると、そりゃあCDも売れなくなるよなあ・・・なんて思ってしまう。
itunesやmoraなどでダウンロードされることによって、音楽はどんどん物理的なものから、純粋な「情報資源」に変わっている。情報というものは次から次へと消費される。音楽も時事ニュースなどと同じく、消費されていく速度がこれからどんどん加速していくのだろう。
ただ、「情報資源」として音楽を必要とする人はダウンロードという手段で音楽を手に入れ、アーティストのポリシーがつまった音楽作品としてCDをちゃんと物理的なものとして保有し、部屋のCDラックに収めておきたいと思う人はCDを買う、という風に選択肢が増えたと考えると、僕は基本的にこれを歓迎する。
これからの音楽の在り方を僕らは本当に考えていかなければいけない。物理的なものとしてきちんと持っておきたいと人に思わせることのできる「残る」音楽をどれだけ発信していけるかが僕らの仕事だからだ。
今日、さっそく大変丁寧な返信のメールをいただき、一時的に別のステーションから車を一台移動して配備していただいたということだった。非常に早い対応でしっかりと利用者のことを考えてマーケティングをしていただいているという印象を受けた。
FMラジオがモノラルでしか聞けない、という件についても今日問い合わせのメールを送った。なんだかクレーマーみたいで心苦しいのだけれどw、こういう意見はやはり利用者にも会社にも両方利益があることなんじゃないかと思う。やはりipodの音楽をモノラルでしか聞けないというのは、特に僕らなんかにしてはかなり深刻な問題である。
聞くところによると、特に若年層では車のなかで音楽を聴く場合、ipodでFMトランスミッターで音を飛ばし、FMラジオ経由で聴く、というスタイルが現在ではかなりの割合を占めるようだ。車内のリスニング環境は、音楽業界がダイナミックに変わっているのと同じく、相当変わってきている。
確かにCDだと、何枚もCDを持って行って、アーティストが変わるたびにCDを入れ変えなくてはいけないのがかなりめんどくさい。たとえばシングルなんて2,3曲しかはいってないんだから、そんなのを持っていくとかなり置き場所的にかさばるし、2,3曲聞いたらもうCDを入れかえなきゃいけない。
ipod一台にたくさんの音楽をいれて、それだけを持っていきたい、というスタイルになるのはごく自然なことだと思う。
そう考えると、そりゃあCDも売れなくなるよなあ・・・なんて思ってしまう。
itunesやmoraなどでダウンロードされることによって、音楽はどんどん物理的なものから、純粋な「情報資源」に変わっている。情報というものは次から次へと消費される。音楽も時事ニュースなどと同じく、消費されていく速度がこれからどんどん加速していくのだろう。
ただ、「情報資源」として音楽を必要とする人はダウンロードという手段で音楽を手に入れ、アーティストのポリシーがつまった音楽作品としてCDをちゃんと物理的なものとして保有し、部屋のCDラックに収めておきたいと思う人はCDを買う、という風に選択肢が増えたと考えると、僕は基本的にこれを歓迎する。
これからの音楽の在り方を僕らは本当に考えていかなければいけない。物理的なものとしてきちんと持っておきたいと人に思わせることのできる「残る」音楽をどれだけ発信していけるかが僕らの仕事だからだ。





